2007年6月22日金曜日

経営を物造りする


してるのが、いわゆる欧米なんだろう。

日本は、金融はからきしだめで、物造りだけはいいとなってるけど、

たぶん、

欧米は、経営も物造り(エンジニアリングでいいのか?)してるけど、日本は年功序列などの慣行があって、できないと。

向こうは、思考>人間>もの なんだけど、日本は、情>人間>もの 

ということか。

そう考えると、経営を向こうに合わせるのは、簡単ではないんだろうな。

しかし、なんで会計制度は、国際基準にできないのだろう。

どういう事情なんだろう。思考がなくて、事情があるということなんだろうな。

戦略があるのかもしれないが。


2007年6月14日木曜日

分割して統治するでなく、分割されたものを統治する時代


たいそうなタイトルだけど、脱中央集権化という話。それも、政治とかでなく、翻訳もそうなれば、という話。

ほぼ毎日、slash-reader.comに対訳文を書いて、のっけてるわけだが、はっきりいってむなしい。

なので、意味づけでもしようと。

むかし、open-sourceの翻訳プロジェクトを見たことが、あるけど、部分部分に翻訳箇所を割って、そこに誰かが訳文をのっけるという形だった、ように見えた。

それはそれで、すごい進んでてすごいなあと思ったけど、もし情報のインフレ、が起きれば、情報の集積化も進んで、(インフレでなく、コモディティ化か、、)

そして、非常に細かい単位(フレーズ)に勝手に分けられた訳文があふれ、それを自由に統合して、新しい訳文ができるという形がくるかもしれない。

そうすれば、訳文を書く際の責任感が減り、量が増大して、その訳文をネタに一つの記事の訳文が出来上がるかもしれない。

うまく書けないけど、責任感を捨てることによる情報の増大を上手く利用できる分野はまだまだあるのではないかと。

にこにこ宣言もでてることだけど、アノテーションという行為を自由にしてあげることは、今後の世の中に進歩に関わってくるかと思う。そして、アノテーションの範囲を細かくしてあげることが大事なような気がする。

一応、思いつきの記録をここにする。


2007年6月7日木曜日

不労所得と労働所得


世の中でお金を稼ぐには、働くしかない、労働をし、世の中に貢献して、お金を対価としていただく。

というのは、基本的な考え方なんだろう。僕は、不労所得で生きてるので、世の中に対して頭が上がらない。

が、歴史を振り返ると、世の中の余剰生産物は、その時々の権力が取得するということになる。それが不労所得になる。労働でできた余剰は、だれかが所有するわけだ。

祭司に権力があればそこへ、官僚機構ができればそこへ、宗教が世の中を規定すればそこへ、武士が権力を握ればそこへ、物が流通するようになればそこへ、貨幣流通が発達すれば、まずは銀行家へ、その後資本家へ。

で、最近新聞をにぎわし始めたのは、株主という考え方。法律的、システム的には、そうなっていたのだけど、日本の空気による了解でその余剰が、会社の利益剰余金としてストックされて、宙ぶらりんになっていた。

で、そのせめぎあいが起こってる。(プラスで経営の支配権を巡っての争いも起こってるけど、ほとんどのファンドは、まずはその会社に眠ってる金をサルベージしたいだけだろう)

 

社会主義という考え方は、その余剰を国家が調整して、国民に等しく分配しようとした試みだったんだろうけど、失敗した。権限と責任を現場に下ろせないシステムは機能しないんだろう。

1920-1930年の大不況で、社会主義的な考え方は、西側諸国にも広がって、システムに組み入れられたけど、結局、国家が介入すると、経済活動(富の創造)がだめになると考えられ、国家の役割は後退し、民営化の動きが強まった。

この流れは、今、グローバル化と相まって、世界を覆いつくしている最中なので、まだまだ終わりが見えない。ネットによる知識革命もあり、英語のよる言語の統一もある。

今後、生産人口の増加と生産効率の進化が進み、労働余剰はますます増える。これはどうなっていくのかは、理解できてない。

ただ、この余剰を得る権利は、いまはお金だけでよくなった。武器もいらないし、宗教的な権威もいらない、生まれの良さもいらない。

不労所得にアクセスするのに、金だけでいいというのは、それでも進歩だとは思う。