2007年6月7日木曜日

不労所得と労働所得


世の中でお金を稼ぐには、働くしかない、労働をし、世の中に貢献して、お金を対価としていただく。

というのは、基本的な考え方なんだろう。僕は、不労所得で生きてるので、世の中に対して頭が上がらない。

が、歴史を振り返ると、世の中の余剰生産物は、その時々の権力が取得するということになる。それが不労所得になる。労働でできた余剰は、だれかが所有するわけだ。

祭司に権力があればそこへ、官僚機構ができればそこへ、宗教が世の中を規定すればそこへ、武士が権力を握ればそこへ、物が流通するようになればそこへ、貨幣流通が発達すれば、まずは銀行家へ、その後資本家へ。

で、最近新聞をにぎわし始めたのは、株主という考え方。法律的、システム的には、そうなっていたのだけど、日本の空気による了解でその余剰が、会社の利益剰余金としてストックされて、宙ぶらりんになっていた。

で、そのせめぎあいが起こってる。(プラスで経営の支配権を巡っての争いも起こってるけど、ほとんどのファンドは、まずはその会社に眠ってる金をサルベージしたいだけだろう)

 

社会主義という考え方は、その余剰を国家が調整して、国民に等しく分配しようとした試みだったんだろうけど、失敗した。権限と責任を現場に下ろせないシステムは機能しないんだろう。

1920-1930年の大不況で、社会主義的な考え方は、西側諸国にも広がって、システムに組み入れられたけど、結局、国家が介入すると、経済活動(富の創造)がだめになると考えられ、国家の役割は後退し、民営化の動きが強まった。

この流れは、今、グローバル化と相まって、世界を覆いつくしている最中なので、まだまだ終わりが見えない。ネットによる知識革命もあり、英語のよる言語の統一もある。

今後、生産人口の増加と生産効率の進化が進み、労働余剰はますます増える。これはどうなっていくのかは、理解できてない。

ただ、この余剰を得る権利は、いまはお金だけでよくなった。武器もいらないし、宗教的な権威もいらない、生まれの良さもいらない。

不労所得にアクセスするのに、金だけでいいというのは、それでも進歩だとは思う。


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