たいそうなタイトルだけど、脱中央集権化という話。それも、政治とかでなく、翻訳もそうなれば、という話。
ほぼ毎日、slash-reader.comに対訳文を書いて、のっけてるわけだが、はっきりいってむなしい。
なので、意味づけでもしようと。
むかし、open-sourceの翻訳プロジェクトを見たことが、あるけど、部分部分に翻訳箇所を割って、そこに誰かが訳文をのっけるという形だった、ように見えた。
それはそれで、すごい進んでてすごいなあと思ったけど、もし情報のインフレ、が起きれば、情報の集積化も進んで、(インフレでなく、コモディティ化か、、)
そして、非常に細かい単位(フレーズ)に勝手に分けられた訳文があふれ、それを自由に統合して、新しい訳文ができるという形がくるかもしれない。
そうすれば、訳文を書く際の責任感が減り、量が増大して、その訳文をネタに一つの記事の訳文が出来上がるかもしれない。
うまく書けないけど、責任感を捨てることによる情報の増大を上手く利用できる分野はまだまだあるのではないかと。
にこにこ宣言もでてることだけど、アノテーションという行為を自由にしてあげることは、今後の世の中に進歩に関わってくるかと思う。そして、アノテーションの範囲を細かくしてあげることが大事なような気がする。
一応、思いつきの記録をここにする。
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