2005年3月28日月曜日

死んだ友達が残すもの


歌を聴きに行ってきた。いろんな意味で気持ちを良くしてもらってきた。
で、歌い手の一人が、歌を再開した理由に友人の死を転機にしてというのがあった。

その歌を聴いていて、ポールのことを思っていた。
アイルランドにいる時に世話になった奴で、その後交通事故で死んでしまったらしい。
会ったのは、あるホステル。彼はそこのマネージャーだった。
頭のいい奴だった。アイルランドに渡った頃、僕の英語?を理解してくれたのは彼くらいだった。
他の奴は、僕が話すとポールに助けを求めたりしてた。
別に日本人に慣れてるわけではなく、そういう特質を持ってたんだと思う。
ほとんど、日本人にこないホステルで、裏にもう一軒ホステルがあって、そちらに日本人は流れてたと思う。
地球の歩き方にもそっちが載ってた。僕は、それを見間違えて、フィネゲンスホステルにいったんだった。
飛行機の半年オープンだけ買って、ロンドンに降りた後、3日目だった。

で、その日に、僕がレストランはあるかと聞いたら、彼が笑いながら、そんなことをいう奴は初めてみたいに笑った。
そういうことを覚えてる。その後、いっしょに飯を食い、パブに行き、ナイトクラブに行き、踊れないよといったら、ほっとかれ、踊ってみたら、それはそれで笑われ、ついでにナンパの先導役までやらされ、それでまた笑われ、ホステルに帰って、二人でドミトリーで寝て、昼に起きて、旅行客の相手をして、また、パブに行って、、、とまあ、朝から晩までいっしょだった。。

で、その後、彼が宿泊客に金を持ち出して逃げるのに付いていって(賃金の未支払い分との主張)、彼がこちらに戻ってくるときに、こっそり部屋を貸し、ついでに金を貸し、その金でビールを奢られ、ケンカして服を取られたときには、服を貸してあげたりと、女の子とデートしたときに、僕の部屋から追い出して、朝までほっつき歩かせたりした。

他にもいろいろあって、楽しい生活だったけど、英語がある程度話せるようになったのは彼のおかげだった。

で、ま、僕が帰国して、半年後に交通事故で死んだ。
webmailのアカウントから兄弟が死後、連絡をくれたんだった。そのアカウントは僕が作らせたものだった。

実際、ポールが大親友かと言われると、よくわからん。僕はそういう関係が苦手だし。帰国してからメールでやりとりしたのも一度だけだったし。あいつが生きていても、そういう関係が続いたのかはわからん。

ただ、あいつが死んで以来、僕の人格の一部分は彼のそれになってる。死んだというニュースを聞いていらい。
人と話をしてるときに、ポールっぽい距離の取り方で人とコミュニケートする事があって、そうしてるとき、自分でも、”ああ”と思う。

恩義なのかなんなのか分からんが、死んだ友人は周りに何かを残すということです、いいたかったことは。

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