| アンソニー プラトカニス¥ 3,360 社会心理学:3位 (2009.11.26) |
第四章のプロパガンダに抵抗する方法の最後
抜き出し(短縮、改変あり)
西洋文明の曙の頃から、説得という方法で別の人に影響を与えるという考えは、不快なことではあったようだ。
一方、プロタゴラスのもうひとつの職業である教育者は、しばしば高い尊敬を受ける。
教育が行われている資本主義的システムを反映するだけでなく、支持し、正当化し、当然で標準的な方法であると示唆する。
学校における性教育の問題を、一方ではモラル・マジョリティのメンバーの立場、もう一方では雑誌『プレイボ-イ』の編集者の立場から考えてみていただきたい。
コミュニケーションの歪曲は、「見る人の目」のなかにある。何が宣伝で、何が教育かは、宣伝の目的に依る。
「どんな形態の教育や説得が社会や自分のためになるのか」を問いかけながら、詳細に吟味しなければならないのである。
僕の感想:
それを言っては終わりという話が展開されている。また、結論も政治家の答弁のよう。宣伝か教育かは、個人の立場でしか判別できない。昔、僕たちの洗脳社会という岡田斗司夫の本を読んた。頭に残った洗脳メッセ-ジは、マジョリティを取る戦いだけで、良い悪いはない。たった。
多様性という言葉があり、価値観が存在するという立場の最後の免罪符のようになっている言葉があるけど、これはどうなんだろう。また、システムの人なんかは、系が縮退するのはまずいと言うだろうが、どうだろう。ただ、無力感に陥るのはまずいのだろう。
プロタゴラスという人は、ソフィストであり教育者であったと。教育と宣伝を区別する事のばからしさを感じていたのだろうか?それとも、絶対的な価値観があったのだろうか?調べてみたいけど、時間がかかりそうなので、ここで終了。
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